大人塾

友人に誘われて通い始めた大人塾。何となく参加ていたが、昨年後半は日程が合わず参加できなくなり、数ヶ月前からまた参加し始めた。2ヶ月前にその大人塾でブログについての話があり、皆次々とブログを始めた。
「私にもできるのだろうか」「いや無理無理」「でもやってみる?」と恐る恐る始めたブログ。

『ネタがない』。これがこの2ヶ月間の私の悩みだった。
 今日の大人塾で思いきって質問してみた。

『ブログを続けるコツは何ですか?』
『毎日続けることを目標に書くことです』
『ネタがないんです』
『ネタ?何でもいいんです』

ブログを始めて思っていたこと。『みんな凄いな・・・』だった。
でもいっか。とりあえず日記のように書き綴って…それから考えよう。こんなに刺激をもらったことはなかったのだから。まず前に進もう。

今日はネタがない。写真もない。・・・そんなジレンマを書くことも前に進むための通過点なのかもしれないな。と思ってとりあえず書いてみた。明日もジレンマを抱えながら書いていると思うけど。ま、いっか。

     家族を想うとき


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久しぶりに映画を見た。2019年イギリス。ケン・ローチ監督の作品である。
10月だったか、NHKだかBSだかで、ケン・ローチ監督と是枝監督が対談しているのを見た記憶がある。「テーマが重いし・・あまり関係ないかな」「最新作の番宣?『家族を思うとき』なんて、あまりセンスの良いタイトルじゃないな」なんて思い録画はしたが消去した。

でも、何となく気になっていたので、14日からKBCシネマで上映されると知り見ることにした。
驚いたことに今日本で子着ていることが描かれていた。今、日本では長時間労働や低賃金の是正など働き方改革が謳われているが、労働環境が“ブラック化”しているのは日本だけではないらしい。

安い給料でこき使われることに懲りた主人公が、夢のマイホームを手に入れられると思いフランチャイズの宅配ドライバーになった。1日14時間週6日の過酷な労働環境で休むこともままならない。家族は介護福祉士の妻と小学生の娘、高校生の息子と4人暮らし。働けば働くほど家族の関係に亀裂が入っていく。普通、映画は最後に微かな希望を残してくれるものなのだが、私には光は見えなかった。監督は問題を投げかけて終わったということか。重い。

映画を見た後、ネットのコメントに「高いお金出して暗い映画見るなんてばかばかしいかも。」と書き込みがあった。以前、明るく元気な友人から同じセリフを聞いたことがある。

私には80歳を超えた父と母がいる。
私は正規雇用であるが残業は多い。残業で帰りが遅いと早く寝てしまうため会話がない。朝ごはんの時だけ話をする。そして「早く帰ってきてね?」と送り出される。一度、母に「なんでそんなこと言うの?」と聞いたことがある。返事はなかった。「寂しいから」とは言えなかったのだろう。が、会話する時間が少なくなればなるほど母は言葉を忘れていく。家族の時間を大切にすれば、仕事ができなくなる。一緒にいる家族が子どもでも、年寄りでも同じなんだ。

今の私にできること。明日は早く帰って家族のために沢山時間を作ろう。

お裁縫


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和裁を習っている。といっても、先生に手取り足取り教えて頂いるというのに1年に浴衣1枚完成するかしないかの超怠け者の生徒である。
祇園祭に参加するようになって数年後、過疎化と少子化のせいか町内に住む子どもがいなくなったので町内の会議で『浴衣をレンタルし、祭りに参加してくれる子供を探す』ことになった。浴衣は町内の人が幼いころ着ていたものをかき集めた。この時から私は浴衣の管理をすることになった。

友人の子どもに声をかけ、2人の子どもの参加が決まったがサイズの合う浴衣がない。やむを得ず母に「浴衣を縫ってもらえないかしら」と尋ねてみたら「なんとかやってみる」と言った。暫くして、手縫いの、3歳児のかわいい浴衣が2枚出来上がった。母は和裁の学校に行っていたわけではない。女学校で習っただけなのにしっかり縫ってくれた。その後母は「もっとしっかり習いたい」と和裁を習いに行くことにした。

そんな母の背中を追いかけるように、私も和裁を習うことにした。あれから何年経ったことだろう。私は相変わらずだが、母はまじめな生徒で、80歳を超えたというのに、2年前に1枚、昨年1枚私の着物を縫ってくれた。毎年祇園祭の頃には、破れた浴衣を修理してもらっていた。苦しい時の母頼み。「しょうがないねぇ」といいながらも必ず何とかしてくれていた。

昨年末、母に乳がんが見つかった。手術をすることになって母も私も和裁のお稽古を中断した。
年明け早々手術し、経過は順調。術後6日で退院し家に帰ってきた。私と弟でどちらが晩御飯を作るのか・・等ひと悶着ありながらも家族で協力して乗り切った。

春になり、母の体調も安定した頃「お裁縫行かないの?」と尋ねてみた。「私はまだ元気じゃない。」と、関心を示さない。家の中の空気が少しずつ変わっていき、結局私もそのままお裁縫をお休みした。

数か月の間に、母は何もしなくなった。いつの間にか、テレビの番が母の仕事となった。「気がつけば洗い物も雑になっていて、鍋やらフライパンが汚れているのに洗おうとしなくなった。収納もおかしなことになってきた。元の所に収めるという作業ができなくなったのだろう。80歳をすぎれば当たり前の事なのかもしれない。が、昨年まで、母は和裁を習っていて、一昨年は着付けもしてくれた。あんなにしっかりしていて、お料理も上手で、知識も豊富で・・何を聞いても誰よりも正確に答えてくれたのに。

今朝、母が「今日は7日よね」ってつぶやいた。先週ゴミ出しの日を間違えていた。そのことを気にしているのだろう。私に確認するように言っているんだな。

いつも母は、私がせっせとお裁縫の宿題の運針をやっていると、「貸してごらん」と取り上げて縫ってくれていたな。「忙しいんだけど縫ってくれるかな」とお願いしたら「しょうがないね」と言って、また縫ってくれるかしら。

「お裁縫は当分お休みしようかな」・・と思っていたが再開することにした。お裁縫をしながら、私はと母と、まだまだたくさんお話をしたいから。

ペイペイ

世の中が『ペイペイ』だの『スマホ決済』等と騒いでいても、どこ吹く風。私には関係ないわ・・・と思っていた。取りあえず私はスマホに乗り換えているが、使いこなせていない。また、私の周りにはペイペイを使って支払いをしている人はいない。というより、仕事以外は同年代の友達ばかりなので「スマホ苦手」「まだガラ系」「ペイペイなんてよくわからん」「何それ」で話は終わっていた。「皆わからないんだ。私と一緒だ。良かった」と安心していた。

先日、高校の同級生2人と食事をした。その中の一人が『ペイペイ簡単よ』という。『そうかな?』『でも、やっぱり難しいよ』と、残りの二人は疑心暗鬼である。

『アプリをインストールすればいいのよ。』『そう?インストールだけなら・・』
と、やってみることに。
しかし・・・。インストールに時間がかかり進まない。多分私1人だったらここで止めてしまうだろう。
『遅いね・・』彼女は、私のスマホを取り『この店フリーWi-Fi使えるよね。』と、すぐに設定。
めちゃくちゃ速い!よくわからないながらも、うまくインストールできたので、そのまま先へ進むことにした。その後の登録について書こうと思ったが、行ったり来たり四苦八苦してかなり時間がかかったので覚えていない。『乗りかかった船だ。そのまま最後まで終了しよう。これを逃すと二度と私に『ペイペイ開始』のチャンスは巡ってこないかも』・・・と帰りたそうにしている友を待たせてスマホの登録を完了させた。これでペイペイ払いができるというわけだ。

お会計の金額を確認したあと、登録した銀行口座から支払いに足りない金額をスマホにチャージ。
お店のペイペイQRコードを読み込む⇒請求金額をスマホに入力⇒「支払」をクリック⇒スマホから「ペイペイ」って声が聞こえてきて支払完了。で、120円返金された。
・・だったと思う。『ペイペイって支払完了のお知らせなんだ。』と感心した次第。でも・・う~ん。やっぱり一人じゃ絶対無理!

帰り際、『ペイペイ使いこなすなんて無理よ』って落ち込んでいると、先の同級生曰く『できなくても果敢に取り組んでるからいいんじゃないの?皆、すぐにあきらめてるよ』だって。
褒められてるんだか、呆れられてるんだかわからないけど、取りあえず一人でペイペイ使ってみようと決心した次第。何事も挑戦しなければ進まない。ちょっとずつ背伸びをしながらでよい。無理なく上の景色が見えるとよいな。のんびり諦めずにいこう。

そうそう、ペイペイにチャージしたお金がちゃんと銀行から引かれているかどうか通帳で確認せねば。ってことは銀行のATMに行って記帳するってこと?これって意外に面倒。そういえば友達は『スマホで確認したら』って言っていたが、これが次回のハードルなのか。
もう一つ、IDとか認証番号とか、忘れないようにしなくては。そのためには覚える・・ではなく記録しておくこと。要注意だ。あ、ノートやメモをなくさないようにすること・・これが一番の課題だな。
当分は昭和と令和の間を行ったり来たりしているのだろうか。やっと平成に追いついたところだったのに次は若い令和か。ま、令和のしっぽを握りしめて置いていかれない程度にのんびりいくことにしよう。令和よ速く走らないでね。足腰鍛えていてもついていくのは辛い。

免許更新

実は11月のとある日に還暦を迎えた。60歳になった・・というわけだ。
職場の後輩が、「Happy birthday」を歌ってくれ、記念の時計をプレゼントしてくれた。「とても還暦とは見えないんですが・・・」と言われ嬉しかった。私の会社は65歳が定年なので、ここで引退・・ではなくあと5年、いつもの日々が続くわけだ。

そんなある日、早起きして免許の更新に行ってきた。今年は自動車免許更新の年。8時30分からの受付けだが8時頃到着。講習会も30分で終了。「免許証を受け取ったら記載事項に間違いがないかどうか確かめてください」と言う言葉を背に部屋を出て窓口へ。新しい免許証を受け取った。
今の免許証を持ち帰りたい時は窓口で申し出るとよい・・・と何かで読んだ。「よし。今年は持ち帰ろう。」と思っていたので、窓口で「この免許証を持ち帰りたいのすが」と申し出た。「少々お待ちください」と言われて間もなく、2つの免許証、パンチで穴開けされた旧免許証と新しい免許証を受取った。何気なく2つの免許証に目をおとす。「え!!!」ギョッとした。

「これが私? 私じゃない!」

そこには今まで見たこともない、おばちゃんが写っていた。まるで使用前・使用後だった。そういえば・・・5年前の記憶がよみがえる。5年前、ドキドキしながら新しい免許証を受け取った。だが意外に写りがよかったので「ま、こんなもんか」と、ほっと胸を撫で下ろした記憶がある。まるで『案外若いね』って言われたかのようだった。まぁ、気分まで若返ったのでいい気なものであるが。うっかりしていた。時は止まってくれないのだ。5年前の私より確実に年を重ねた私が、そこにいた。

そういえば、90歳過ぎた祖母が、居眠りから目が覚めて偶然鏡に映った自分の顔を見て、
「まぁ、どうしたの。髪は真っ白。こんなに年を取ってしまって」って、まるで浦島太郎みたいな台詞を言ってたな。「いつもと同じなんだけどなぁ」って思ってたけど。

日頃外出することもない祖母は、鏡を見ることも、髪をとかすこともなかった。ふとした時に自分の老いに気付き驚いたのだ。まだ若かった私は、祖母のリアクションを単に笑っていたのだが、あの頃の、99歳まで生きた元祖おてんば娘の祖母は、人生終盤何を考えて生きてきたんだろう。もっと話をすればよかったな。

 来年、中学の還暦学年同窓会を企画している。今年は準備が間に合わなかったので来年にしたわけだが、1年後で良かった。今からじっくり時間をかけてピカピカに磨いていこう。もちろん中身も磨かねば。そして5年後の免許更新の時には、にんマリと笑って免許証を受け取られるように今から準備しておこう。

『今日という日は残りの人生の最初の日である』

5年後、10年後どんな顔になっているかな。さあ、仕切り直しだ。

平成中村座 小倉城公演


f:id:marian2019:20191126225043j:image f:id:marian2019:20191126225350j:image        平成中村座 小倉城公演

11月1日開演した平成中村座。遂に千秋楽を迎えた。実は演目の一つ「小笠原騒動」の中で、小倉祇園太鼓が披露されている。話を聞いたのは10月27日。わが町内の太鼓チームも出演すると言う。実は私は歌舞伎が好きなのだ(但し初心者の域は出ない)。学生時代、歌舞伎座で若き日の松本幸四郎(松たか子の父)の勧進帳を見て歌舞伎に魅せられた。外国人向け「イヤホーンガイド英語解説者」というアルバイトに応募しようと思ったこともある。「歌舞伎の公演に出演できるなんて、こんな機会は二度とない」・・、日ごろあまり自己主張することの無い(と思っている)私だが「参加したい」と手を挙げた。

ブログを始めるにはうってつけの記事だと思った。

舞台に立つのだから走り込んで体を絞ろう・・とか、太鼓を叩くのだったら腕力がなまっているかもしれないので筋トレしよう・・・とか。夢は膨らんだ。かっこよく拍手を浴びている姿を思い浮かべてはにんまりしていた。と言っても誰からも、叩いてくれとは言われてないのだが。

ところが本番が近付くにつれ、私の体調がおかしくなってしまった。町内の太鼓演奏担当は3日間。初日は皆緊張していたので余計なことは聞かず「3日目に浴衣着ていくね」っと言って3日目を待つことにしていた。がしかし、本番当日、声がでなくなった「花道の時に声掛け(御囃子)で出てもらおうかと思ってたけど(無理だね)」っと不参加はあっさり決まった。こんな時に限って・・なんで・・・。

うかうかしている間に私は出演のチャンスを逃してしまった。チャンスの神様は前髪しかないのだ。いつ何時、何が起こっても対応できるように準備をしておかねばならないって、誰でも知ってるよね。ただの御囃子だけど本物の歌舞伎の舞台に上がってみたかった。

  「一世一代の大舞台を逃したね!」

友人からのコメント。
まさにその通り。よくぞ言ってくれました。大袈裟かもしれないが本気で後悔した。

結局、裏方からわが町内の太鼓の演技を見ることとなった。遠くからだけど、初日より2日目よりも気合が入っていて「これが小倉祇園太鼓よ!」言わんばかりの力強い素晴らしい演奏だった。最後、舞台上手で小倉城をバックに映し出されるシルエットも美しかった。やっぱり叩き手は男でないとだめだな。そう、この太鼓で小倉祇園太鼓が好きになってくれたらそれでいい。

平成中村座は今日が千秋楽。最後は小倉城天守閣から見届けることができた。たった1ヶ月だったけど私の中で夢が芽生えて消えていった。そして二度と経験できない歌舞伎座の舞台裏も経験できた。北九州で歌舞伎を観ることができるなんて思ってもみなかった。ありがとう勘九郎さん。中村座のみなさん。

色んなことが過去になっていく。自業自得とはいえ出演できなかったことは悔しい。いくつになっても悔しい気持ちはある。この悔しさをバネに次のイベントに向け走って行こう。