お裁縫


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和裁を習っている。といっても、先生に手取り足取り教えて頂いるというのに1年に浴衣1枚完成するかしないかの超怠け者の生徒である。
祇園祭に参加するようになって数年後、過疎化と少子化のせいか町内に住む子どもがいなくなったので町内の会議で『浴衣をレンタルし、祭りに参加してくれる子供を探す』ことになった。浴衣は町内の人が幼いころ着ていたものをかき集めた。この時から私は浴衣の管理をすることになった。

友人の子どもに声をかけ、2人の子どもの参加が決まったがサイズの合う浴衣がない。やむを得ず母に「浴衣を縫ってもらえないかしら」と尋ねてみたら「なんとかやってみる」と言った。暫くして、手縫いの、3歳児のかわいい浴衣が2枚出来上がった。母は和裁の学校に行っていたわけではない。女学校で習っただけなのにしっかり縫ってくれた。その後母は「もっとしっかり習いたい」と和裁を習いに行くことにした。

そんな母の背中を追いかけるように、私も和裁を習うことにした。あれから何年経ったことだろう。私は相変わらずだが、母はまじめな生徒で、80歳を超えたというのに、2年前に1枚、昨年1枚私の着物を縫ってくれた。毎年祇園祭の頃には、破れた浴衣を修理してもらっていた。苦しい時の母頼み。「しょうがないねぇ」といいながらも必ず何とかしてくれていた。

昨年末、母に乳がんが見つかった。手術をすることになって母も私も和裁のお稽古を中断した。
年明け早々手術し、経過は順調。術後6日で退院し家に帰ってきた。私と弟でどちらが晩御飯を作るのか・・等ひと悶着ありながらも家族で協力して乗り切った。

春になり、母の体調も安定した頃「お裁縫行かないの?」と尋ねてみた。「私はまだ元気じゃない。」と、関心を示さない。家の中の空気が少しずつ変わっていき、結局私もそのままお裁縫をお休みした。

数か月の間に、母は何もしなくなった。いつの間にか、テレビの番が母の仕事となった。「気がつけば洗い物も雑になっていて、鍋やらフライパンが汚れているのに洗おうとしなくなった。収納もおかしなことになってきた。元の所に収めるという作業ができなくなったのだろう。80歳をすぎれば当たり前の事なのかもしれない。が、昨年まで、母は和裁を習っていて、一昨年は着付けもしてくれた。あんなにしっかりしていて、お料理も上手で、知識も豊富で・・何を聞いても誰よりも正確に答えてくれたのに。

今朝、母が「今日は7日よね」ってつぶやいた。先週ゴミ出しの日を間違えていた。そのことを気にしているのだろう。私に確認するように言っているんだな。

いつも母は、私がせっせとお裁縫の宿題の運針をやっていると、「貸してごらん」と取り上げて縫ってくれていたな。「忙しいんだけど縫ってくれるかな」とお願いしたら「しょうがないね」と言って、また縫ってくれるかしら。

「お裁縫は当分お休みしようかな」・・と思っていたが再開することにした。お裁縫をしながら、私はと母と、まだまだたくさんお話をしたいから。