平成中村座 小倉城公演


f:id:marian2019:20191126225043j:image f:id:marian2019:20191126225350j:image        平成中村座 小倉城公演

11月1日開演した平成中村座。遂に千秋楽を迎えた。実は演目の一つ「小笠原騒動」の中で、小倉祇園太鼓が披露されている。話を聞いたのは10月27日。わが町内の太鼓チームも出演すると言う。実は私は歌舞伎が好きなのだ(但し初心者の域は出ない)。学生時代、歌舞伎座で若き日の松本幸四郎(松たか子の父)の勧進帳を見て歌舞伎に魅せられた。外国人向け「イヤホーンガイド英語解説者」というアルバイトに応募しようと思ったこともある。「歌舞伎の公演に出演できるなんて、こんな機会は二度とない」・・、日ごろあまり自己主張することの無い(と思っている)私だが「参加したい」と手を挙げた。

ブログを始めるにはうってつけの記事だと思った。

舞台に立つのだから走り込んで体を絞ろう・・とか、太鼓を叩くのだったら腕力がなまっているかもしれないので筋トレしよう・・・とか。夢は膨らんだ。かっこよく拍手を浴びている姿を思い浮かべてはにんまりしていた。と言っても誰からも、叩いてくれとは言われてないのだが。

ところが本番が近付くにつれ、私の体調がおかしくなってしまった。町内の太鼓演奏担当は3日間。初日は皆緊張していたので余計なことは聞かず「3日目に浴衣着ていくね」っと言って3日目を待つことにしていた。がしかし、本番当日、声がでなくなった「花道の時に声掛け(御囃子)で出てもらおうかと思ってたけど(無理だね)」っと不参加はあっさり決まった。こんな時に限って・・なんで・・・。

うかうかしている間に私は出演のチャンスを逃してしまった。チャンスの神様は前髪しかないのだ。いつ何時、何が起こっても対応できるように準備をしておかねばならないって、誰でも知ってるよね。ただの御囃子だけど本物の歌舞伎の舞台に上がってみたかった。

  「一世一代の大舞台を逃したね!」

友人からのコメント。
まさにその通り。よくぞ言ってくれました。大袈裟かもしれないが本気で後悔した。

結局、裏方からわが町内の太鼓の演技を見ることとなった。遠くからだけど、初日より2日目よりも気合が入っていて「これが小倉祇園太鼓よ!」言わんばかりの力強い素晴らしい演奏だった。最後、舞台上手で小倉城をバックに映し出されるシルエットも美しかった。やっぱり叩き手は男でないとだめだな。そう、この太鼓で小倉祇園太鼓が好きになってくれたらそれでいい。

平成中村座は今日が千秋楽。最後は小倉城天守閣から見届けることができた。たった1ヶ月だったけど私の中で夢が芽生えて消えていった。そして二度と経験できない歌舞伎座の舞台裏も経験できた。北九州で歌舞伎を観ることができるなんて思ってもみなかった。ありがとう勘九郎さん。中村座のみなさん。

色んなことが過去になっていく。自業自得とはいえ出演できなかったことは悔しい。いくつになっても悔しい気持ちはある。この悔しさをバネに次のイベントに向け走って行こう。